52年路線の収束
52年路線の続きです。
宗門に対しての謗法行為に対し、宗門僧侶を中心とした学会批判の声が全国的に広がり、脱会者が続出した。池田創価学会の崩壊につながることを危惧し、日達上人に謝罪して事態の収束を願い出た。
そして昭和53年6月30日、創価学会は聖教新聞に「教学上の基本問題について」と題し、教義逸脱に関する訂正文を掲載した。
しかしそれは、訂正内容が曖昧であったうえに、会長である池田大作の責任を明らかにするものではなかった。この頃、創価学会による本尊模刻も発覚し、同年9月28日、学会は急遽、勝手に造った七体の本尊を総本山に納めた。
窮地に追い込まれた学会は、同年11月7日、総本山において、幹部2000名による「創価学会創立48周年記念代表幹部会」(通称お詫び登山)を開催し、列席した宗内僧侶の面前で公式に謝罪の意を表明した。
しかし実際には、それらの逸脱はいっこうに改められず、宗内から池田大作自身の責任を問う声がいっそう激しくなった。昭和54年3月31日、法華講連合会は緊急理事会を開き、法華講総講頭の職にあった池田に対して辞任勧告を決議し、その書を送付した。
これらのことから池田は、同年4月22日、日達上人に法華講総講頭の辞任を申し出て、同月24日に創価学会会長を、26日には法華講総講頭をそれぞれ辞任した。
これを受けて日達上人は、同年5月3日、創価大学における本部総会の席上、創価学会が日蓮正宗の信徒団体としての基本を、今後、忠実に守ることを条件とされたうえで、学会問題の収束を宣言された。また、池田の辞任後4代会長には北条浩が就任した。
その後、同年7月22日の日達上人の御遷化に伴い、第67世法主に日顕上人が登座され、日達上人の方針を引き継いで学会の善導に心を砕かれた。しかし、その方針に従わない一部僧侶が「正信会」を結成して活動を続け、やがて日顕上人への血脈相承をも否定するに至り、擯斥処分に付された。
この間、昭和56年7月18日には創価学会会長であった北条浩が急死し、5代会長に秋谷栄之助が就任した。
創価学会のことを調べてみましたが、なんというか…。
私は顕正会しか知らなかったので改めて考えると、創価学会も顕正会も宗門を否定して正しい法から遠ざかった、自分たちだけが正しいと言い張っている。
顕正会のことも、もう少し書いていきます。
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