xwhitelotuskun’s diary

顕正会脱会→日蓮正宗へ。

〈52年路線〉

創価学会のことを調べてみました。

 

正本堂建立を気に、池田会長は宗門支配を画策し、宗門に対してさまざまな圧力を加えはじめた。このときすでに池田会長には大きな野望があった。それは山崎正友(当時の創価学会顧問弁護士)、八尋頼雄(当時の創価学会顧問弁護士)、さらに北条浩(当時の創価学会副会長、後の四代会長)による、池田会長への報告書『山崎・八尋文書』(昭和49年4月)、『北条文書』(昭和49年6月)に明白である。

『山崎・八尋文書』には「一つは本山といずれ関係を清算せざる得ないから、学会に火の粉が降りかからない範囲で、いつでも清算できるようにしていく方法と、いま一つは長期に渡る本山管理の仕掛けを今やっておいて背後を固めるという方法です」とあり、『北条文書』には「長期的に見れば、うまく分かれる以外にないと思う」、「やる時がきたら徹底的に戦いたいと思います」などとある。

このように池田創価学会は、宗門を実質的に支配して乗っ取るか、それができなければ分離独立するという陰謀を企てていた。

昭和52年には、学会に批判的な僧侶の吊し上げをはじめとした僧侶攻撃や宗門批判を行うとともに、日蓮正宗の教義から逸脱し、ついには御本尊模刻という大謗法を犯すに至った。これがいわゆる創価学会の「52年路線」である。

 

このときの教義逸脱の主なものは、

1、創価仏法の原点は、戸田会長の獄中の悟達にある

2、唯授一人の血脈否定、途中の人師論師は無用、大聖人直結

3、人間革命は現代の御書

4、池田会長に帰命、池田会長は主師親三徳・大導師・久遠の師である

5、寺院は単なる儀式の場、会館は広布の道場

6、謗法容認(祭りへの参加等)

7、供養は在家でも受けられる

などである。