xwhitelotuskun’s diary

顕正会脱会→日蓮正宗へ。

日蓮正宗寺院は創価学会のお寺ではありません

続きです。

 

《政界進出と正本堂建立》

昭和39年5月に行われた創価学会の第27回本部総会において、池田会長は正本堂の建立寄進を打ち出しました。この正本堂建立が池田会長の慢心を増長させ「52年路線」を招き、また正本堂建立に反対する妙信講問題や、創価学会の非法を執拗に攻撃する自称・正信会の派生など、様々な波紋が生じる要因となりました。

これに先だって創価学会は、昭和36年11月「王仏冥合」を掲げて「公明政治連盟」を発足させ政界に進出した。

昭和39年11月には「公明党」を結成し、翌40年7月の参議院選挙では20議席の勢力を有するほどになった。

このようななか、創価学会の「言論出版問題」が表面化した。

昭和45年、民社党はこれに関して池田会長の国会喚問を要求し、また共産党は「国立戒壇憲法違反に当たるのではないか」との質問を提出し、政府に答弁を求めた。これにより池田会長は、同年5月に行われた本部総会において、言論・出版問題に関する謝罪と創価学会公明党との政教分離を表明し、さらに宗門の公式決定を受けて「国立戒壇」の名称を今後使用しないこととした。

また、池田会長は、未だ広宣流布が達成されていないにも関わらず、自分が広宣流布を達成した証として、正本堂を「日蓮大聖人ご遺命の戒壇」とするよう宗門に迫った。しかし日達上人様はそれを拒否され、訓諭をもって正本堂を「大聖人御遺命の戒壇に準ずるもの」「現時における事の戒壇」と意義付けられ、昭和47年10月に正本堂が建立されました。