xwhitelotuskun’s diary

顕正会脱会→日蓮正宗へ。

解散処分を受けた原因②

創価学会、池田会長の「正本堂をもって御遺命達成・広布」とする考え方に対しても、それを改めるべく日達上人は昭和47年4月に正本堂の意義について『訓諭』を発表されました。

その中で、正本堂は現時における事の戒壇とされ、「現時にあって未だ謗法の徒多きがゆえに、安直の本門戒壇の大御本尊は公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり」と述べられ、本門戒壇に関する法義を示されて宗内の和合統一をはかられました。

 

それでも妙信講は日達上人の意に背き、宗門や創価学会を非難・攻撃し続け「流血の慘も辞さず」(昭和47年6月30日付)との脅迫文を送りつけるに至った。

そこで日達上人は、自ら妙縁寺に赴かれて浅井父子を説得され、ようやく無事に、同10月の正本堂落慶法要を奉修されたのでした。

 

そののち、この問題は一時収まりかけたが、妙信講は執拗に国立戒壇を主張し続け、ついには文書の街頭配布やデモ行進を行うなど、事態はますますエスカレートしていきました。